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最高裁判所第一小法廷 昭和56年(行ツ)214号 判決 1985年9月26日

愛知県豊橋市萱一四番地

上告人

株式会社 魚吉商店

右代表者代表取締役

乾実

右訴訟代理人弁護士

長屋誠

高和直司

愛知県豊橋市前田町一丁目九番地の四

被上告人

豊橋税務署長

服部敏幸

右指定代理人

崇嶋良忠

右当事者間の名古屋高等裁判所昭和五二年(行コ)第一八号課税処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五六年九月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人長屋誠、同高和直司の上告理由第一点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第二点について

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、ひつきよう、独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 矢口洪一 裁判官 高島益郎)

(昭和五六年行ツ第二一四号 上告人 株式会社魚吉商店)

上告代理人長屋誠、同高和直司の上告理由

第一点 原判決の判断は、客観的に成立している株式会社龍松園の確定申告書、債権譲渡契約書、および、債権譲渡の通知書の各文言と明白に矛盾しており、理由不備、理由齟齬の違法、ならびに、判決に影響を及ぼすことの明らかな経験則違背等の違法があり、破棄を免れない(民事訴訟法第三九五条第一項第六号、同法第三九四条)。

一、原判決は、上告人の「中島葭太郎の龍松園に対する清算人仮受金債権は、昭和四四年二月五日、乾実に譲渡された。したがつて、葭太郎がその後右債権を放棄(債務免除)することはありえない」との主張に対して、被上告人が「葭太郎と乾実との間に債権譲渡契約書(甲第一号証)及び債権譲渡の通知書(甲第二号証)が存するが、これらは龍松園の『跡始末』やその合併手続を担当した公認会計士足立為人が右契約当事者両名の意思と無関係に形式上作成したものにすぎず、債権譲渡契約は成立していない」と反駁した、と双方の主張の整理している。

そして、結局、原判決は、「葭太郎は、これは龍松園なる会社を売ることないしその株式の譲渡のためのもので、龍松園の『後始末』と考えていたものであり、相手の乾実も、債権を譲り受けるという認識はなく、合資会社魚吉商店の改組のための手続の一環として捺印したにすぎなかつた」と契約当事者の意思を決めつけて解釈し、被上告人に迎合した驚くべき判断をなしている。この、ことに葭太郎の「意図」についての原判決の判断は、明らかな虚構であり、決してしてはならない「創作」であつた。

二、まず、原判決は、葭太郎が、その子康兵衛を通じて田中義孝税理士に対し、右葭太郎が龍松園に対して有する清算人仮受金債権金二六五万二、四三一円を放棄するから、龍松園の清算結了登記をしてもらいたい旨申し入れていたと認定する。しかし、全証拠を精査しても、右の事実を裏付けるものは存在しない。あるのは、何故か被上告人に迎合して応答した「後日、清算会社に対し債務免除行なつて清算の結了を計る予定でした」という田中税理士の質問てん末書(乙第三号証)のような供述の類のみである。

上告人の求めに従い、被上告人よりすでに乙第一八号証も出されてきている。原判決は創作をしているだけであつて、龍松園の昭和四二年一二月二七日から昭和四三年六月三〇日までの事業年度の確定申告において、清算人仮受金として計上されていることこそが、葭太郎がそれを放棄していなかつた明確な証拠である。清算事務と債権放棄は本来別個のものであり、葭太郎が債権放棄の意思を有していたならば、税理士田中がわざわざ清算人仮受金計上をすることなく、債権放棄の手続きをとつていたはずである。たゞ「時間不足だつたなどと言訳けする田中供述(第一審、第一二回、四九・一二・一八、九丁)に幻惑されることなく、事実はありのまゝに見ねばならない。

債権放棄の事実が無理に解釈せねば出てこないことにつき原判決は十分に自覚していたからこそ、原判決は、本件清算人仮受金債権が「回収不能」であることや、「一文の価値のないこと」を葭太郎が「熟知」していたことを前記認定を引き出す前提として声高に強調してきている。しかし、「債権放棄」の「動機」をいくら詮索しても、だからと言って、債権放棄の事実が出てくるものではない。

もちろん、葭太郎は、たゞちに債権の回収ができると考えてはいなかつたではあろうが、もし、龍松園の経営がよくなつたり、他の方法により回収する手だてが見つかれば、葭太郎は喜んで債権を取り立てたに違いない。およそ、回収の見込みが立たない債権はすべて放棄したものとみなすことが権力的にできるのだとしたら、大変な事態になる。かかる権限は税務署といえども有するはずがない。被上告人にしても、乙第一八号証を受領することにより、昭和四三年八月三一日現在、葭太郎が龍松園に対し本件清算人仮受金債権を有している事実を熟知し、結局、承認しているのである。葭太郎が税理士田中に対し債権放棄の意思を表明していたなどというのはまつたくの虚構であつた。したがつて、原判決のいう「葭太郎の右申し入れは同税理士(田中義孝のこと)による清算結了書類作成の時において右債権を放棄する趣旨と解される」という認定も独断にすぎないこととなる。これまでの検討で明らかなとおり、葭太郎は税理士田中に債権放棄の意思を表明してなどいないが、それにしても原判決の右の解釈は趣旨不明としか言いようがない。すなわち、税理氏田中は龍松園の清算結了の書類を作成しないうちに葭太郎との委任関係が昭和四三年八月ころ終了してしまつていることは原判決も認めているところである。そうすると、仮りに原判決の解釈の立場に立つとしても、葭太郎が税理士田中に申し入れたという税理士田中が龍松園の清算結了書類を作成したときにおいて清算人仮受金債権を放棄する趣旨とは何を指すのであろうか。税理士田中が龍松園の清算結了書類を作成することを停止条件とした葭太郎の債権放棄の意思表示があつたとでもいうのであろうか。もしその程度のことを指すのであれば、葭太郎は、あくまで債権放棄の可能性を表明したにすぎず、税理士田中が現実には龍松園の清算結了書類を作成してすらいないのであるから、法律的な意味を何ら有しない事実を描写しただけのことになる。いずれにしても、債権放棄の可能性の意思表明と債権放棄の意思表示とは明確に竣別がなされねばならないことであつた。

三、原判決は、公認会計士足立為人に葭太郎が依頼した趣旨、内容を故意に制限的にとらえている。そんなことなら、葭太郎は、税理士田中に龍松園の清算事務を処理させ、一切を終了させることができていたであろう。本件では、その意図が奈辺にあるかよくわからないが、中島康兵衛のいささかあいまいな供述があることは事実である。康兵衛は、税理士田中の場合と同様、それに先行して被上告人により作成された乙第四号証の質問応答書ののちに供述している。大体、上告人が、やむを得ず、本訴を提起したのちに、整理された自己の主張の線で質問攻めをして乙第三号証や乙第四号証のような書類を作る被上告人のやり方はまつたく不公正きわまりないものであつた。しかし、康兵衛といえども、足立に「お任せして跡始末をしてもら」つたことを認めている(第一審第一五回、五〇・一一・一〇、一一丁)。また、甲第一号証に、昭和四四年二月ごろ署名、捺印したことも認めている(同、一丁以下)。すなわち、葭太郎は龍松園の「後始末」を足立に包括的に委任したのであり、康兵衛は遂一説明を受けその処理に応じていたのであつた。原判決は。龍松園の株式が乾実に譲渡されたことと葭太郎が本件清算人仮受金債権を上告人に譲渡したことを分けて論じ、金五万円が前者の対価であると断定しているが、龍松園の株式が乾実に譲渡されたのは甲第一号証が作成される前の昭和四四年一月一五日のことであり、その対価は無償であつた(足立、第一審第一四回、五〇・8・二五、八丁、石井秀典、第一審第二四回、五二・8・三一、二〇丁)。康兵衛は自らも受け取つている甲第一号証の一通をもらつていないと偽つて供述すらしているが、専門家が依頼を受けその意思を確認して処理していつた事務につき、のちに素人の依頼者がその経過を忘れたり、間違えて主張するようになつたからと言つて、その内容を承知して康兵衛が自ら署名、捺印している甲第一号証自体を受任者の「自己の都合から」作成された文書であるかのように認定するなどということは言語道断なことである。原判決のこのような見方の背景には、本件のようなやり方を脱税であるかのようにとらえた、露骨な敵視があると言えよう。しかし、本件合併は商法第五六条第二項に従つた適法な合併であり、本件では、その結果生まれた繰越欠損金につき権利として認められた有効利用がなされていたにすぎなかつたのである。

四、原判決は、「葭太郎は、翌四四年初ころ、足立に対し、先に田中税理士にしたと同様の趣旨で龍松園の『後始末』をするように依頼した」とか「葭太郎は、右株式の譲渡により、龍松園との関係を一切断ち切り、税務上、経理上の一切の負担を免れ得るものと考え、その手続きを右足立に依頼した」とか認定した上で、甲第一号証に関しても、先に引用したように、「これは龍松園なる会社を売ることないしその株式の譲渡のためのもので、龍松園の『後始末』と考えていたもので」あると断定する。

しかし、葭太郎は、足立に対し、税理士田中にしたと同じ趣旨の依頼をした事実ではなく、龍松園のいわゆる「後始末」に関する一切の事項、手続きを委任し(康兵衛、第一審第一五回、五〇・一一・一〇、三丁)、結局、清算人仮受金も譲渡しているのであり、もちろん、足立および石井は、康兵衛に遂一説明をしその了解を得て、清算人仮受金債権の譲渡を含む一切の手続きを進めたのであつた(足立、第一審第一三回、六〇・6・九丁、第一審第一四回、五〇・8・二五、三丁、石井、第一審第二四回、五二・8・三一、一丁~六丁)。

この点で特に注意を喚起したいことは、原判決が、葭太郎が(具体的にはその息子康兵衛)甲第一号証にたゞ捺印しただけであつたかのように認定した点である。これは、原判決がその論旨を故意に正当化せんとしてなした作為と言わなければならない。すなわち、石井はもちろんのこと康兵衛も、甲第一号証に康兵衛が葭太郎の名前を自著したことをはつきり認めている(石井、前掲二丁)。もし、原判決のいうように、葭太郎が、清算人仮受金債権を放棄するから龍松園の清算結了登記をしてもらいたいとの意思を表明していたならば、また、金五万円が龍松園の株式を乾実に譲渡した対価であると認識していたならば、康兵衛が葭太郎に代つて自著する際、甲第一号証の内容について何らかの異議を申し立てていたはずである。それとも、康兵衛わずか一二行の文句すら読めない「明盲」であつたとでも言うのであろうか。葭太郎が清算人仮受人債権を放棄していなかつたこそ、また、金五万円を龍松園の株の対価とは考えていなかつたからこそ、葭太郎は、昭和四四年二月五日、清算人仮受金債権を乾実に譲渡したのである。明白な甲第一号証の文言と異なつた葭太郎の意思を「解釈した」原判決には、明らかに経験則違背の違法がある。これは、葭太郎に代つて康兵衛が甲第一号証に署名した事実を故意に無視することによりなされた原判決の致命的な判断の誤りであつた。同じことは、乾実の意思についての原判決の解釈についても言える。原判決は、「乾実も債権を譲り受けるという認識はなく、前記会社(合資会社魚吉商店)の改組のための手続きの一環として捺印したにすぎなかつた」というが、手続き上の詳細はまかせているが、乾は、足立および石井からの説明を了解して、その意思に基づき、葭太郎が龍松園に有する清算人仮受金債権を葭太郎から金五万円で買い受け、甲第一号証に自著し捺印したことはまぎれもない事実である(乾、第一審第一六回、五一・1・二一、四丁、一二丁、原審第五回、五三・一〇・2、五丁以下)。したがつて、甲第一号証の内容と異なつた乾実の意思内容を意図的に「解釈」した原判決の判断には、ここでも経験則違背の違法がある。

なお、原判決は、清算人仮受金債権の対価として支払われた金五万円の算定根拠を石井供述をも引用して種々あげつらい、自説の補強をせんとしている。

しかし、清算人仮受金債権は、乾が譲渡後会社の経営を上手にやつてはじめて生きてくる債権であるから、その対価を廉価に見積ることは当然のことであり、また、本来契約当事者の自由な合意に委ねられるべき範囲の事項である。本件では右のとおり、債権の実質的価値は十分考慮されているのであつて、この点でも原判決は独断に陥つている。

また、原判決は、乙第四号証の末尾に添付された領収書の記載内容も問題にする。たしかに、同書面には「(株)龍松園株売渡し代金」と記載されているが、これは康兵衛の勘違いから生じた誤記にすぎず、それをもつて甲第一号証の文言を否定し、同書面を意味のない文書とすることは本末転倒もはなはだしい。右領収書が康兵衛の書いたものであることを云々するのであれば、前述のとおり、甲第一号証も葭太郎に代つて康兵衛により署名されたものであつたことが十分吟味されねばならなかつたはずである。原判決は、かたくなに真実から目をそむける姿勢をとりつづけているにすぎない。

さらにつけ加えねばならないことは、甲第二号証についての原判決の判断である。原判決は、「同書面の葭太郎名下に押捺された同人の印は、葭太郎が龍松園の後始末の手続きに使用するため足立に預けたものであつて、右通知自体の作成・発想は葭太郎のあずかり知らないところであつた」と平然と言つてのけているが、何を根拠としてそのような判断ができるのであろうか。

康兵衛は自らも読み、石井からその趣旨、内容の説明も受け、そのときはそれを了解して甲第二号証に葭太郎の実印(甲第一号証と対比すれば同一であることは明白)を押捺しているのであり(石井、前掲、八丁)、葭太郎は、まさに、甲第二号証の作成、発想をあずかり知つていたのである。原判決は、法律にあかるくもない、忘れたか、勘違いをしている康兵衛の供述の片言隻句に惑わされて誤つて判断をなしているにすぎないが、その故に、康兵衛すら述べていない(康兵衛、前掲、三丁)、葭太郎の印(しかも、同人の実印)が足立に預けられていたなどという、まさにとんでもない事実誤認の認定をするに至つている。かかる原判決の判断は、筆の走りすぎのような弁解では到底すまされ得ない、被上告人に迎合した主観的独断の典型であつた。

第二点 原判決の判断には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背、理由不備、理由齟齬、経験則違背の違法があり、破棄を免れない(民事訴訟法第三九四条、同法第三九五条第一項第六号)。

一、法人税法第一三〇条は、青色申告書に係る更正は、その法人の帳簿書類を調査し、その調査により当該課税標準または欠損金額の計算に誤りがあると認められる場合に限り、これをすることができると規定している。

しかるに、本件では、被上告人は、右計算を越える甲第一号証の内容とは異なる事実の創出行為までして更正してきているのであつて、被上告人の行為が同条に違反してなされたものであることは明らかである。このことは、上告人が、すでに、原審における昭和五三年一二月一八日付準備書面で、法人税法第二二条の解釈の誤りにふれて主張しているところであつた。

すなわち、龍松園の負債を代払いしたその代表者葭太郎が、龍松園に対する債権を清算人仮受金科目に計上して被上告人に青色申告し(ちなみに、龍松園が法人税法第五九条、法人税法施行令第一一七条による手続きをとつていないことも、葭太郎が債権放棄をしていなかつた裏付けとなる)、その後、足立に依頼して手続きを進め、結局、龍松園の株を乾実に無償譲渡し、さらに清算人仮受金債権を同じく乾実に売り渡したということのみがあらわれてきている本件において、内容たる事実と異なる事実判断が許されないはずの上告人のその後の被上告人に対する青色申告の内容に干渉し、葭太郎の内心を憶測して、債務免除益があつたなどという事実を創出して、越権的に判断をなすことは、前記「計算」の範囲を越えた違法な更正であつた。

しかも、本件においては、上告人は被上告人より債権譲渡の点について答弁を要求されたことがないことからも明らかなとおり(甲第九号証、審査請求人の主張(1)二の記載事項参照)、被上告人は、本件更正にあたつて上告人の帳簿書類の調査を一切してきていないのである。以上からして、原判決には、法人税法第一三一条と対比しても制限が明らかな法人税法第一三〇条の解釈に明らかに誤りがあり、それが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。

二、また、原判決は、更正の理由以外の更正の正当性を支持する主張が許されないわけではないと、どういうわけか、理由も挙げずに断定するが、青色申告において納税者を納得させるために被上告人ら税務署長に義務づけた更正の理由附記についてのかかる解釈は、法人税法第一三〇条第二項の解釈を誤つてなされたものでもある。

以上

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